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富士の名刹02 [神社仏閣]

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名称 大頂寺だいちょうじ [山院号:浄法山正定院]
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建 永禄元年(1558)8月
開山 定誉助諦上人
本寺 京都知恩院
寺紋 三つ葉葵 月影杏葉
鎮守 稲荷
浄土宗寺院。正しくは「浄法山正定院大頂寺」と号する。同じく浄土宗に属する平等寺、宗心寺と並びたち、浄土信仰があまり盛んでない富士地域において、稀有な景観を呈している。
南に開かれた門柱から境内に入ると、目の前に虚空蔵菩薩をまつる小堂が建ち、西側に丸柱が美しい八脚門の山門が建っている。山門からは丈の低い松が並木を作り、その外に多彩な植栽が広がる。よく手入れされた、緑さわやかな前庭だ。奥の本堂は江戸中期の建立。枯淡な寄棟造りで、瓦屋根の反りが美しく、どこか女性的な柔らかさを感じさせる。
この寺は戦国末期の永禄元年(1558)8月に開かれたと伝えられる。当時は伝馬町にあったが、江戸初期の寛永年間(1624~44)に当地へ移った。移転の理由は判然としない。慶安2年(1649)8月、幕府から朱印領7石1斗1升が認められている。
ちなみに隣接している平等寺は、大頂寺開創の3年後に神田町で開かれ、のち現在地へ移転した。その隣の宗心寺は、やや遅れて17世紀の開創。元和4年(1618)大頂寺の住職を退いた信誉が富士山で修行し、寛永3年(1626)11月に開いたと伝えられ、当初は大頂寺の末寺だった。
大頂寺は享保年間(1716~35)の火災で堂宇・文書を失ったが、6世の代に再興された。以降、文政2年(1819)に宝庫新造、安政2年(1855)に本堂修復、明治35年に本堂屋根を瓦葺きへ改め、向拝増築。大正2年には鐘楼を建立した。
地誌類に目を移すと、明治中期の『皇國地誌』に「東西26間 南北57間 面積1,274坪 街並東寄にあり」、昭和初期の『大宮町誌』に「本堂10間に9間 庫裏4間半に12間 境内1,453坪 境内堂宇虚空蔵菩薩、不動明王」とある。
虚空蔵堂は享保17年(1733)建立。虚空蔵菩薩のほか、大日如来がまつられている。大日如来は富士山頂にあったものの、明治期の廃仏毀釈で取り除かれ、管理していた村山浅間神社から中屋へ譲られ、さらにここへ納められたという。
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富士の名刹 [神社仏閣]

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名称 大頂寺だいちょうじ [山院号:浄法山正定院]
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建 永禄元年(1558)8月
開山 定誉助諦上人
本寺 京都知恩院
寺紋 三つ葉葵 月影杏葉
鎮守 稲荷
浄土宗寺院。正しくは「浄法山正定院大頂寺」と号する。同じく浄土宗に属する平等寺、宗心寺と並びたち、浄土信仰があまり盛んでない富士地域において、稀有な景観を呈している。
南に開かれた門柱から境内に入ると、目の前に虚空蔵菩薩をまつる小堂が建ち、西側に丸柱が美しい八脚門の山門が建っている。山門からは丈の低い松が並木を作り、その外に多彩な植栽が広がる。よく手入れされた、緑さわやかな前庭だ。奥の本堂は江戸中期の建立。枯淡な寄棟造りで、瓦屋根の反りが美しく、どこか女性的な柔らかさを感じさせる。
この寺は戦国末期の永禄元年(1558)8月に開かれたと伝えられる。当時は伝馬町にあったが、江戸初期の寛永年間(1624~44)に当地へ移った。移転の理由は判然としない。慶安2年(1649)8月、幕府から朱印領7石1斗1升が認められている。
ちなみに隣接している平等寺は、大頂寺開創の3年後に神田町で開かれ、のち現在地へ移転した。その隣の宗心寺は、やや遅れて17世紀の開創。元和4年(1618)大頂寺の住職を退いた信誉が富士山で修行し、寛永3年(1626)11月に開いたと伝えられ、当初は大頂寺の末寺だった。
大頂寺は享保年間(1716~35)の火災で堂宇・文書を失ったが、6世の代に再興された。以降、文政2年(1819)に宝庫新造、安政2年(1855)に本堂修復、明治35年に本堂屋根を瓦葺きへ改め、向拝増築。大正2年には鐘楼を建立した。
地誌類に目を移すと、明治中期の『皇國地誌』に「東西26間 南北57間 面積1,274坪 街並東寄にあり」、昭和初期の『大宮町誌』に「本堂10間に9間 庫裏4間半に12間 境内1,453坪 境内堂宇虚空蔵菩薩、不動明王」とある。
虚空蔵堂は享保17年(1733)建立。虚空蔵菩薩のほか、大日如来がまつられている。大日如来は富士山頂にあったものの、明治期の廃仏毀釈で取り除かれ、管理していた村山浅間神社から中屋へ譲られ、さらにここへ納められたという。
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庭の花 [我が家の花達]

この所散歩に行っても代わり映えしませんので我が家に咲く花達を写してみました。
和名:ヒメヒオウギ(姫檜扇)
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メダカも大きく・・・・ [カメラ散歩]

天気も良く裏山の茶畑の所を散歩しておりますと豌豆の花が綺麗に咲いておりました。
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年中表においておりますが寒い時でも元気なもんですよ、夏は葭簀を掛けてやります。

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富士の古刹 [神社仏閣]

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名称 圓照寺(えんしょうじ) [山院号:佛立山元興院] 
所在 静岡県富士市江尾18 
宗派 浄土宗 本尊 阿弥陀如来三尊像 
創建 不詳 開基 誓運社願誉存香和尚 
開山 誓運社願誉存香和尚 本寺 京都知恩院 
寺紋 月影杏葉 備考 8月26日:岩船地蔵尊大祭
開創は慶長15年(1610)とも寛永10年(1633)ともいわれる。『郷土誌須津』によれば、古い墓地から寛永7年と刻まれた石碑が発見されたというから、どちらかといえば慶長15年説が有力か。
また過去帳に、飯綱神社神官・大森氏の先祖(当山派修験)の戒名が記されていることから、古くは当山派修験と関わりを持った真言系の寺だったと推測されている。
江戸期の地誌を引くと、2石9斗7升2合の除地を有していた。『駿河国新風土記』によれば、境内は東西18間、南北22間の規模で、7間四間の本堂、四間七間の庫裏があった。本尊は弥陀座像3尺、ほかに観音立像2尺7寸、脇士の観音、勢至各2尺3寸立像が載る。
下って明治17年の『皇國地誌』は、東西22間3尺、南北25間、面積1反4畝1歩と記している。
富士市の東部、増川と江尾の境にある浄土宗寺院。黒仏や岩船地蔵など、所蔵する仏像が地元で知られている。寺は江戸前期に開かれたと伝えられ、当初は現在地よりも北にあったが、江尾江川の氾濫で被災、移転したという。
江尾江川に沿って密集した住宅地の隘路を北へ歩くと、ほどなく武骨な東名高速道路が横一文字。その高架下を抜けると山門だ。周りに緑多く、高速道路さえなければ景観も雰囲気も申し分ないだけに、実にもったいない。
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