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別所温泉三楽寺? [神社仏閣]

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北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場です。
安和2年(969年)、平維茂は一山を修理し、三楽寺、四院、六十坊を増築したと伝えられています。
寿永元年(1182年)には源平争乱の中、木曾義仲の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまいますが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興されました。
本堂が北に向いているのは、わが国でもほとんど例がりません。
北向観音様は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益を願い、また善光寺様は南向きに建立され阿弥陀様を御本尊として未来往生を願います。
現在と未来の片方だけですと片詣りと言われおり、たまたま向き合ってる両方をお詣りしたほうが良いと言われるようになりました。

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この手水は温泉なんですよ。

洗水
観音堂正面のすぐ左には参拝前に体を清める洗水があります。
こちらの洗水は全国でも珍しい天然温泉が湧きだしております。

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常香炉
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本堂

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別所温泉の夜 [ドライブ旅行]

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ホテルに無事着きまして窓から山間の温泉場を眺めておりました。
仲居さんが食事は18時にお運びしますと言うことですので料理が運ばれてくるまでゆっくりと温泉に浸って居りましたが露天風呂も館内風呂も熱いんですよ、ゆっくりなんて入って居れませんでした。
湯上りにビールを頂いて毎日家内のご苦労を労う為にお酌をしてさしつさされつ呑んでおりましたら料理が来ましたね。(今回はすべてリコーGRにて写しております)

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料理はこんな感じでして完食してお腹一杯なので夜の温泉街へ行って見ました。

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臨時鉄ちゃん! [ドライブ旅行]

上田電鉄別所線(べっしょせん)は、長野県上田市の上田駅から別所温泉駅までを結ぶ上田電鉄の鉄道路線である。かつて側面に丸窓を持つ「丸窓電車」が走っていたことで知られ、同電車の運用終了後も丸窓は当路線を象徴する意匠となっている。


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丁度踏切を渡っておりまスト電車が来ましたので渡ったとこの広い所へ車を止めて電車を待ちまして写しました。

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今人気絶頂!② [ドライブ旅行]

門を入ると人人と歩くのもやっと状態奥に行くにしたがって空いてきましたが真田神社前ではお参りする人の列が出来ていました。 

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上田城は、信濃国小県の真田本城主の真田昌幸が当主であった真田氏により、1583年(天正11年)に築城された平城である。天正11年、天正13年、天正18年と何度かの過程を経て築城をされたものである[1]。1585年、1600年と二度にわたる真田氏と徳川軍との上田合戦で知られる。しかし、昌幸が属した西軍が関ヶ原の戦いで敗れ、昌幸が九度山に配流となると、1601年に上田城は徳川軍に破却され、堀も埋められた。
江戸時代には上田藩の藩庁が置かれていた。関ヶ原以降に同地を領した真田信之は、上田城が破却されていたため元々の居城である上野国沼田城を本城とし、上田城三の丸跡地に屋敷を構えて統治を行った。この頃、城下町の整備が行われた。真田信之は徳川氏の幕府に対し、元和7年(1621年)に城の再整備・拡張を申請するが却下され、元和8年(1622年)9月には信濃国松代へ転封された。後は小諸藩より仙石氏が移封された

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内堀は水が無い所も有りました。IMGP5472_R.JPG

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今人気絶頂! [ドライブ旅行]

この日は上信越の上田までロングドライブインターを降りると上田の町は凄い車と人でした。
駐車場へ入れるべく行くとなんと2時間待ちならば腹ごしらえとお蕎麦屋さんをお城の目の前に有りました、がしかしここも一時間は待つようです、車を止めて店の前で待つことしばし呼ばれまして席につき胡桃漬け汁蒸籠蕎麦を食べましたが物凄い量があります、家内ははじめからギブアップ、私も家内の分までは手助けできない事になりました。
食べ終えて車を駐車場へ入れやっと上田城址へ辿り着きました。

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上田城は、信濃国小県の真田本城主の真田昌幸が当主であった真田氏により、1583年(天正11年)に築城された平城である。天正11年、天正13年、天正18年と何度かの過程を経て築城をされたものである[1]。1585年、1600年と二度にわたる真田氏と徳川軍との上田合戦で知られる。しかし、昌幸が属した西軍が関ヶ原の戦いで敗れ、昌幸が九度山に配流となると、1601年に上田城は徳川軍に破却され、堀も埋められた。
江戸時代には上田藩の藩庁が置かれていた。関ヶ原以降に同地を領した真田信之は、上田城が破却されていたため元々の居城である上野国沼田城を本城とし、上田城三の丸跡地に屋敷を構えて統治を行った。この頃、城下町の整備が行われた。真田信之は徳川氏の幕府に対し、元和7年(1621年)に城の再整備・拡張を申請するが却下され、元和8年(1622年)9月には信濃国松代へ転封された。後は小諸藩より仙石氏が移封された

 

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